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内藤家 (信成系) : ウィキペディア日本語版
内藤家 (信成系)[ないとうか]
内藤家信成系)として本項で扱うのは、戦国期三河国松平氏家臣であった内藤清長の養子・内藤信成を開祖とする家系のこと。この家は譜代に属するが、信成が徳川家康の異腹の弟であるとの説があり、それゆえ松平氏庶流と考えることもできる。しかし「寛永諸家系図伝」「寛政重修諸家譜」ともにこの説を採らず、清長とその実子である内藤家長によって継承された内藤家と同じく「藤原氏(秀郷流)」として扱っている〔「藩翰譜」はその按文で広忠庶子説を紹介しているが、信成を家長の養子とする説(「寛永諸家系図伝」はこれを採る)への批判が述べられるにとどまり、広忠庶子説について「従うべし」とはしていない(『新編 藩翰譜』2巻101項の按文)。〕。
== 開祖・内藤信成 ==
永禄6年(1563年)の三河一向一揆との戦いの功績により、三河国中島の600石を与えられる。養父・清長の家督は家長がこれを継ぎ、信成は別に家を興した(「寛政譜」新訂185項)。天正18年(1590年)家康の関東入国の際に伊豆国1万石をあたえられて韮山城を居所とし、さらに慶長6年(1601年)には4万石に加増されて駿府城主となる。慶長8年(1603年)従五位下豊前守に叙任された後、慶長11年(1606年)采地を改められ、近江国4万石を領して長浜城主となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「内藤家 (信成系)」の詳細全文を読む



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